7月7日は「鬼のはらわた」を食べる?〜七夕の行事食〜

七夕は、日本の夏の風物詩として広く親しまれている行事のひとつです。笹飾りを見るとウキウキした気分になる人も多いのではないでしょうか。全国各地でお祭りなども開催され、老若男女の心を捉える七夕ですが、意外と知られていないことも多くあります。その筆頭といえるのが行事食。今回は、七夕の行事食を中心に、知っているようで知らない七夕のお話をしたいと思います。

七夕の行事食は「そうめん」!その理由は?

「七夕ならではの食べ物なんて、とくにないのでは?」と思われがちなのですが、実はとても身近な「そうめん」が七夕の行事食です。では、なぜ七夕にそうめんを食べるようになったのでしょうか。その理由を紐解いてみましょう。

「そうめん」の歴史を紐解くと、理由が見えてくる

七夕の行事食であるそうめんの由来を考えるうえで、知っておきたいのが、そうめんの歴史です。

遡ること奈良時代。中国から伝わった揚げ菓子「索餅(さくへい・さくべい)」がそうめんの原型といわれています。

一度聞いたら忘れられない響きを持つ索餅ですが、どんな姿をしているのかはイメージしにくいかもしれません。いま手にすることができるお菓子の中で、索餅によく似ているといわれているのが、長崎県の郷土菓子「麻花兒(マファール)」と言われています。別名「よりより」とも呼ばれ、らせん状の縄のような形状をしています。中国で「索」は太い縄を意味するそうですから、まさに見た目がそのまま名前になったようなお菓子です。さらに、もう一方の「餅」の意味を知ると、どんな風味なのかもおおよその見当がつくのではないかと思います。「餅」は、小麦粉と米粉を混ぜ合わせたものという意味。それを油で揚げると、索餅の完成です(作り方については、諸説あり)。

では、お菓子という位置づけの索餅がどう変化して、いまのような「そうめん」になったのでしょうか? 大きなポイントになるのが、室町時代です。それ以前には見られなかった「索麺」や「素麺」という言葉が、さまざまな文献に登場するようになります。索麺と素麺は、名前は違えども同じものを指すようで、形や作り方、料理方法もいま私たちが食べているそうめんに近かったといわれています。このことから、現代に通ずるそうめんは、室町時代に形成されたのではないかと考えられているのです。ただ、謎な部分も多く、索餅との直接的な繋がりの中でそうめん(索麺・素麺)が誕生したのかどうかまでは明らかになっていません。いずれにしても、この時代は索餅も索麺・素麺も高級食材。宮廷や寺社などのごく一部でしから食べられていなかったようです。庶民も口にできるようになるのは、江戸時代になってからといわれています。

宮中における七夕の儀式のお供え物だった「索餅」が由来

索餅は奈良時代に渡来していたものの、七夕との関わりが史料上ではっきりと確認できるのは平安時代に入ってから。その史料というのが、平安中期に編纂された法典「延喜式」です。延喜式は宮中の行事や作法などが記されている、いわば役人の業務マニュアルともいえるものですが、その中に七夕の儀式のお供え物として索餅が登場します。「七夕に索餅を食べると大病しない」といったことも書かれているそうで、そこから、現代につながる「七夕には無病息災の願いを込めてそうめんを食べる」という風習が広がっていったのではないかと考えられています。とはいえ、索餅は高級品。前項でも少し触れましたが、まだまだ誰もが口にできるものではありませんでした。

江戸時代に入ると、徳川将軍の七夕の祝膳に「素麺」が出されたことや、庶民も七夕に「素麺」を楽しんだことなどが、さまざまな史料から見て取れるようになります。このことから、そうめんは江戸期に広く普及し、さくめん(索麺)とも呼ばれていた名称が「そうめん(素麺)」に統一されていったのではないかというのが通説になっています。

七夕そうめんは「鬼のはらわた」とも呼ばれる

七夕に食べるそうめん、実は別名があります。その名も「鬼のはらわた」。なんともインパクトのある呼び方ですが、おどろおどろしい響きとは裏腹に、悲しく切ないいわれがあります。

延喜式に書かれている「七夕に索餅を食べると大病しない」ことの由来でもある中国神話の一節。以下に概要を記します。

「その昔、7月7日に高辛という大帝の子供が亡くなります。ところが、その子供は成仏できずに一本足の鬼となり、人々に災いをもたらすべく市中に疫病(マラリアのような熱病)を流行らせました。それを鎮めるためにお供えしたのが索餅です。索餅は、生前その子供が好きだった食べ物。その索餅をお供えすると、猛威を奮っていた疫病が鎮まり、まちには平穏な日々が戻りました。」

この神話(鬼)と、索餅の見た目(はらわたのように見える)が合わさって、「鬼のはらわた」と呼ばれるようになったといわれています。

七夕にそうめんを食べる理由はほかにもある

ここまでご覧いただいたように、無病息災を願って七夕にそうめんを食べるというのが通説になっていますが、次のような説も見られます。

そうめんを白い糸に見立て、機織りの上達を願う

牽牛・織姫伝説にちなんだ説で、女性たちが機織り上手の織姫にあやかって、裁縫、芸事などの上達を祈願しながら食べたといわれています。「小麦粉は毒を消す」という言い伝えがあり、健康を祈願する意味もあるようです。

ほかにも、「そうめんを天の川に見立てて」というものや、現代に入ってからだと思われますが「恋愛成就の願いを込めて」といったものもあります。

思わず誰かに話したくなる七夕の雑学2選

七夕といえば織姫と彦星……と、イメージできるものもありますが、七夕にはなぜ笹を飾るのかご存知でしょうか? 七夕にまつわる雑学を2つご紹介します。

七夕に笹を飾るわけ

七夕といえば、一番最初に思い浮かぶのが笹飾りかもしれません。数ある植物の中で、笹竹が選ばれることにも理由があるようです。

日本では古来より竹や笹は神聖なものとされてきました。天に向かってまっすぐ伸びる力強さと生命力から神様が宿る「依り代(よりしろ)」と考えられ、また、笹の葉が擦れ合う音は神様を招くとも。

こうした背景から、七夕に用いられるようになったのではないかと考えられています。ちなみに願い事を書いた短冊を笹に吊るすようになったのは、江戸時代以降のことだそうです。

8月7日が七夕の地域もある!

七夕は7月7日というイメージがありますが、ひと月遅れで8月7日に行う地域もあります。これは、新暦か旧暦かによる違いです。本来、七夕の行事が行われていたのは旧暦の7月7日。それを現在の暦に置き換えると8月7日頃になるというわけです。全国的に知られる「仙台七夕まつり」も開催は8月。伊達政宗公の時代からつづく伝統行事は、いまも当時と変わらない季節感の中で行われています。

慣れ親しんでいる行事だからこそ深く見つめてみたい七夕

子どもの頃から慣れ親しんでいる七夕ですが、日本の伝統行事という視点で改めて見てみると、意外と知らないことが多いことに気づきます。その筆頭が行事食の「そうめん」でしょう。もちろん、行事食として根づいている地域もあるようですが、節分の「恵方巻き」やひな祭りの「ちらし寿司」などに比べると、周知されていない向きがあります。けれど、知らないままではもったいない! ほかの行事食と同様に、深い意味が込められています。今年の七夕はそうめんをいただきながら、先人たちの想いに馳せてみませんか。

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